腸内細菌と人体の不思議な関係1

ヒポクラテスの予言?

「すべての病気は腸に始まる」というヒポクラテスの言葉が、世界の医師や医学研究者の間で新たな注目を集めている。ヒポクラテスは紀元前5世紀に活躍し、それまでの呪術的な治療とは異なり、病気を自然現象と考え、科学に基づく医療の基礎を作った名医として知られている。

二千数百年も前の名医の言葉が今になって注目されるのも、これまでほとんど知られていなかった腸内細菌の重要な役割が最近の研究で、次々と明らかになってきたからだ。胃腸など消化器の病気や不具合だけでなく、肥満や痩せといった太り方の体質、花粉症やアトピー性皮膚炎、喘息などアレルギー疾患、気分や性格、一部の自閉症との関連などこれまで思いもよらなかった身体活動の全体に腸内細菌が密接に関わっていることがはっきりしてきた。

ここでは欧米や国内の腸内細菌研究の最新の成果をもとに、研究の現状や動向、さまざまな病気への臨床応用の取り組みのほか、ちょっとした心がけで可能になる腸内細菌に効果的な食事の取り方などもお伝えすることにしよう。

数年前までは、まったく本気にされなかったことだが、腸の難病患者に健康なドナーの便を移植し、便の中の腸内細菌を薬として使おうとする「便微生物(便)移植」が欧米の病院で最先端の治療として実施され、9割以上の患者に効果を上げたという驚くべき報告も出ている。こうしためざましい成果に触発される形で、国内でも一部の病院で「便微生物移植」の臨床試験がスタートしている。

米国の細菌叢解読プロジェクト

米国の首都、ワシントンDCの近郊にある国立保健研究所(NIH)は最先端の医学、生物学研究を進めると同時に、全米の研究を統括する司令塔といえる組織だ。このNIHが2007年にヒト・マイクロバイオーム(細菌叢)解読プロジェクト(HMP)を立ち上げた。

ヒトの常在細菌は皮膚やのど、鼻、口などにそれぞれ固有の種類が住み着いている。この細菌全体を細菌叢(花畑にちなんでフローラとも)と呼ぶが、中でも圧倒的に数が多いのが大腸に住み着く腸内細菌の細菌叢だ。数百種類、数百兆個が住み着いていて、細菌の重さだけで1 kg から1.5 kg ほどに達するという。重さでは脳や肝臓に匹敵し、「第二の臓器」という呼び方もされるほどだ。

HMPはヒトのゲノム(全遺伝子情報)解読プロジェクトの成功を受け、その後継プロジェクトとして計画された。2007年から始まった第1期では18歳から40歳までの健康な男女400人の協力を得て、人体各部からサンプルを採取し、詳しく分析した。2013年から2015年までの第2期は早産や炎症性腸疾患、糖尿病の患者の細菌叢など具体的な患者モデルに絞ってさらに詳細な研究を進めている。

NIHによる資金提供は8年間の総額で1億9400万ドル(約230億円)。参加する研究者は大学や病院など80研究機関、200人以上にのぼる巨大なものだ。公的プロジェクトだけでなく、米国では民間から資金を募って、腸内細菌を中心に、皮膚や口の中など人体各部の細菌叢を調べるアメリカン・ガットというプロジェクトも立ち上がっている。ここに参加する研究機関も30を超えている。

こうした研究の結果、これまでほとんど解明されていなかった腸内細菌を中心とする人体内部の細菌叢の研究が急速に進んできている。その成果のひとつが人体に生息する細菌の種類や数には臓器や部位によって、きわめて大きな違いがあるとわかったことだ。消化器を例にとると、酸性が強い胃の中では1 g 当たり10個程度とごく少ないが十二指腸に入るとその千倍、もっとも多い大腸では何と10億倍に当たる1 g 当たり1兆個に達するという報告も出ている。

米英の著名な科学誌も注目

科学誌や医学誌などに発表される研究成果の数も激増している。米国の著名な科学誌サイエンスは2010年末に発表した、2010年までの10年間の科学技術の10大成果のひとつに細菌叢の研究を取り上げた。英国の科学誌ネイチャーも15年2月末、腸内細菌特集の臨時増刊号を出して話題になった。この臨時増刊では「微生物を使った治療がまもなく実用化」「身体の中で働く細菌たち」「腸からメンタルヘルスを考える」「腸内細菌は健康維持部隊」など魅力的な内容の論文が並んでいる。

この増刊号には、慶応義塾大医学部の本田賢也教授が17種類もの腸内細菌をカクテルのように使い、難治性腸炎を治療しようとする「腸内細菌と腸内免疫」や、九州大心療内科の須藤信行教授がマウスを使った実験で、ストレスなど精神的な影響が腸内細菌と深く関わっていることを世界で初めて突き止めるなど日本の研究も紹介された。