腸内細菌叢から過敏性腸症候群(IBS)を予測するシステム開発にサイキンソーが成功
左から栗山実さん(チーフ アナリティクス オフィサー)、渡辺諭史さん(シニア リサーチャー)、西田暁史さん(客員研究員、東工大研究員)
過敏性腸症候群(IBS)を、腸内細菌叢から予測する。今まで日本になかったこのサービスを、株式会社サイキンソーが開発に成功し、特許を出願した。特許出願までの道のりについて、サイキンソーのサイエンスユニットのメンバーである、渡辺諭史さん(シニア リサーチャー)、栗山実さん(チーフ アナリティクス オフィサー)、西田暁史さん(客員研究員、東工大研究員)にお話を伺った。
IBSの診断は医師の技量に依存している
IBSは、医師にとって診断の難しい病気である。IBSの診断基準は、便秘や下痢が3か月以上続き、なおかつ大腸がんやIBD(炎症性腸疾患)ではないこと。大腸がんやIBDは、内視鏡や血液検査などを組み合わせて診断する方法が確立している。その一方で、現在下痢や便秘に苦しんでいる人は、この下痢や便秘が3か月以上続いているのかは患者自身ですら把握しにくい。もしかしたら、下痢や便秘は一過性かもしれないと思ってしまうからだ。
IBSは、現状では検査などで客観的に評価する指標がなく、診断はもっぱら問診を経て下されている。正確にIBSの診断が下されるかどうかは、医師の技量に依存している状態なのだ。
もし、検査を行って、「こういう腸内細菌叢の持ち主は、IBSのリスクが高い」という判定を出すことができれば、医師は今よりもずっとIBSを診断しやすくなる。
現在、uBiomeという海外の会社が、腸内細菌叢からIBSの判定をするシステムの特許を取得しているが、日本で同様のシステムはまだ開発されていない。日本と欧米では生活習慣、特に食文化・食習慣が異なるため、腸内細菌叢も大きく異なっている。そのため、同じIBSの菌叢でも欧米人と日本人とでは特徴が異なる可能性がある。
そこで、サイキンソーのサイエンスユニットが日本初の、細菌叢からIBSを判定・予測するシステムの開発に乗り出すことにした。サイキンソーには、5000サンプル以上の健常者の腸内細菌叢データがある。また、Mykinso Proという医療機関向けサービスで、IBS診療を専門とする医療機関から収集したIBS患者の腸内細菌叢データも保有している。
これらの菌叢データを使って、IBS予測システムの開発に乗り出した。
さまざまなモデルを作って検証
具体的な手法はこうだ。まずは栗山さんが、菌叢データに含まれる500属の菌を対象にして、IBS患者か健常者かを予測するモデルをいくつか作った。そして、西田さんがモデルの性能評価を行った。
検証には、サイキンソーが保持する健常者26名とIBS患者79名のデータを使い、12種類のモデルについて交差検証法という手法で行った。交差検証法とは、少ないサンプル数のときに、丁寧に検証を行うことができる方法だ。検証の結果、きわめて高い予測率を誇るモデルを見つけることができたのだった。
「IBSは、何かひとつの菌が寄与しているわけではありません。IBSかどうかを診断するためには、IBS患者特有の菌叢、すなわち菌の組み合わせがどのようなものかを調べなければいけません。しかし、腸内細菌叢はひとりひとり違います。ですから、IBS患者特有の菌叢と健常者の菌叢がそれぞれどのような傾向なのか、IBS患者と健常者の境目とはどういうところなのかを探す必要があります。これが本当に大変でした。何かひとつの菌があるかどうかを探すよりも、ずっと複雑ですからね」(栗山さん)
ある菌の存在で振り出しに戻る
こうして、予測率の高いモデルを構築できたのだが、ここで一つの問題が見つかった。ある菌が存在するとノイズとして働き、IBSとして判定されやすくなることがわかったからである。
「せっかく完成に近づいた予測システムは、これでいったん振り出しに戻ってしまいました。でも、ひとりではなく、チームで開発に取り組んでいたからこそ気づけたといえます」(渡辺さん、西田さん)
というわけで、もう一度やり直しである。モデルの構築には、前回は500属の菌すべてを使ったが、今度は過去の文献を参考にし、IBSと関連する菌を絞り込むことにした。また、前回検証に使ったサンプル数はIBS患者79名、健常者26名だったが、今回は日本のIBSの有病率である約15%と同じ割合にするため、健常者のデータを大幅に増やして全部で566名にした。これは、健常者のデータを大量に保有しているサイキンソーだからこそできたことだろう。
数ある機械学習モデルのうち、もっとも成績がよかったものが「Randam Forest」である。交差検証法を行ってROC曲線を算出したところ、AUCの平均値が0.89と高い数値であった。
こうして、紆余曲折はあったが、ようやく予測率のよいモデルができた。
体質とあきらめず、治療へつなげるきっかけに
本成果は、2019年の4月に特許を出願し、5月の日本消化器病学会総会で発表された。学術雑誌への投稿も検討している。その後、Mykinso Proの検査レポートに新しい検査項目として加えることも考えている。
「今まで、おなかの調子が悪いことが続くと『これは体質だから仕方がない』とあきらめる人が多かったのではないでしょうか。しかし、今後Mykinso Proの検査でIBSのリスクが高いと判定されれば、『しっかり治療しよう』という動機づけになるかもしれません。さらに、今回の研究を展開することによって、菌叢改善による新しい治療法の提案に結びつけることも可能となるかもしれません。私たちは、ぜひそうなってほしいと思っています」(渡辺さん)
下痢や便秘は体質とあきらめていたものが、IBSと診断されて治療できれば、QOLは大幅に向上する。この技術の実用化が待ち遠しい。