コアラの食生活と社会行動を決める食糞
今回は、コアラの食糞についてご紹介します。コアラは赤ちゃんのみ、一時的に食糞を行います。また食糞か、と思うかもしれませんが、生物の世界ではわりと見られる現象で、特異ではないということでもあります。
赤ちゃんが食べるのは特別な未消化物
低栄養で毒があるという、他の生物が好まないような手強い植物ユーカリを主食にしているコアラですが、もちろんこれは簡単なことではありません。この食糧を食べ、栄養を得るためには、消化管内細菌叢による発酵が欠かせません。
盲腸や結腸で発酵する細菌は、母親からの直接的な便移植である、食糞によって受け継がれます。
母親は、前もって消化管内の不要な排泄物をすっかり排泄して除去した後、腸内細菌と栄養を豊富に含むピュレ状のユーカリ未消化物「パップ(pap)」を排泄口から出します。
赤ちゃんは、生後172~213日の間、母親が排泄口から出すパップを摂取して、細菌を消化管内に取り込みます。これがなければ、有害でもあるユーカリを食べ、栄養を得ることも、生きていくこともできません。パップを摂取し始めてから19日以内には、葉食が開始されます。また、パップは大変栄養価が高いため、摂取が開始されてから、最初の2週間で赤ちゃんコアラの体重はおよそ二倍にもなります。
赤ちゃんの成長を支える母乳
コアラの母乳の成分は、ウサギやウマなどを含む一般的な哺乳類である有胎盤類とは異なり、全固形分(脂質、タンパク)が多く、ミネラルやビタミン(特に鉄、レチノール、葉酸、ニコチン酸)が非常に多く含まれています。また、炭水化物分画には、ラクトースよりもオリゴ糖が優占的に多くなっています。子どもが採餌を始める時期である後期授乳期には、この炭水化物の量は大幅に減少します。
コアラでは見られませんが、他の有袋類では、離乳および袋から出る時期に、母乳に含まれるエネルギー源である脂質の増加による母乳濃度の上昇が見られます。他の哺乳類に比べて、コアラのメスが産生する母乳量は少ないのですが、その分、子が袋で過ごす授乳期間は12ヶ月と長くなっています。
赤ちゃんコアラは、6ヶ月を過ぎる頃から離乳が始まり、葉を食べ始めますが、12ヶ月頃までは母乳を飲み続けます。この食餌の変化は、赤ちゃんにとって大きな変化となります。
また、母親の食性と細菌叢を反映する食糞の影響を早期に受けることにより、母親の好みと同じ植物を好む食性が備わっていくと考えられています。
ちなみに、袋から出た後もおよそ3ヶ月間、子どもは母親にしがみついて暮らします。これにより、子の生存率は高くなっているのですが、袋から出た直後の子どもは、フクロウなどの数少ない天敵に狙われて命を落とすこともあります。
細菌叢が決めるコアラの縄張りや社会行動
母親から得た細菌叢と食性の好みは、コアラの行動にも直結していきます。
他の有袋類に比べても、コアラは体サイズあたりの代謝が低く、エネルギー消費が抑えられています。一日のほとんどの時間を休んで過ごし、採餌はほぼ夕方から夜(17時から24時)にかけてに行われ、一回の採餌はおよそ20分以内です。濡れたり寒冷にさらされたりする天候は、採餌行動に影響を与え、このような状況ではコアラは小さく丸まったままで過ごし、体温やエネルギーを温存します。
多くの種では、個体間の社会交渉が行動圏の決定に重要な要因となりますが、コアラの場合は、これが当てはまりません。大好きな採餌用の木、つまりユーカリ、さらにはその中でも好みの木がどれだけ狭い範囲にたくさん利用可能であるか、ということの方が重要な要因となっています。また、体サイズも要因となり、オスはメスに比べて大きいため、その行動圏もメスより50%大きなものとなっています。
食性および体サイズに基づいて決定される個体の行動圏の広さは、1.2〜100 ha と多様であり、環境中の植物の構成も重要な要因となります。コアラは、木々の間を平均1日に1回移動し、一般的には自分の縄張りにある全ての木で採餌を行うと言われていますが、木の選択と採餌指向性の関係はより複雑であることも示唆されています。
このように、コアラの食糞は、栄養摂取や生存に必要なだけではなく、ひいては樹上生活を行うコアラの縄張りや社会行動を決定する要因ともなっているのです。
食糞は便移植の原点
食糞は、私たちヒトの生活にはない行動ですが、健康なヒトから消化管内細菌を移植する「便移植」という治療法が開発されつつあります。糞便そのものを食べるのではなく、そこに含まれる腸内細菌を消化管内に移植することで、一部の消化器疾患の治療に役立つと考えられています。食糞と便移植は、まさに温故知新と言えるのかもしれません。
参考文献
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