匂いによる情報伝達と腸内細菌叢の関係
さまざまな動物や昆虫において、匂いはコミュニケーションのツールです。彼らほどではないにしても、我々人間の社会においても、日常の中で匂いが気になる人はいるのではないしょうか。
そんな匂いの元となる物質を作り出すことにおいて大きな役割を担っているのが、常在細菌叢です。ヒトを含め、生物の体はさまざまな常在細菌に覆われており、細菌の代謝により作り出される揮発性化合物が匂いの元になります。
それら化合物を産生する腸内細菌叢と、匂いによる情報伝達の関係が注目されています。
糞中の嗅覚刺激シグナルによるコミュニケーションと情報収集
鳥類の尾羽根の付け根の背中側には尾脂腺と呼ばれる、油分を分泌する腺があります。鳥はここをくちばしで触れて、油分を全身の羽根に塗っています。こうした鳥類の尾脂腺や、哺乳類の肛門腺などの分泌器官には常在細菌がいます。
その細菌叢により生成された揮発性化合物が、分泌物に混じって排出され、体表に広がることで体臭になったり、縄張りなどに対するマーキングに使われたりしています。
動物では、主に糞に含まれる揮発性有機化合物が、情報交換の手段になっていることが長年研究されています。例えば、ラッコでは、採餌場などの利用可能なリソースに対して、所有権を主張するために糞の匂いが利用されています。
匂いの原因となる化合物が特定されている研究もあります。シロサイでは、糞中の2,3-ジメチルウンデカンが個体の性別、ヘプタナールが年齢層、ノナンがオスの縄張り保持状況、2,6-ジメチルウンデカンがメスの発情などを示す指標となっているとの報告があります。
このように、糞中に含まれる複数の化合物が、個体特有の匂いを形成し、個体の健康状態や社会的立場などの情報を他の個体に示す手段となっています。
鳥類でも、糞中の化合物に起因する匂いを利用している例が報告されています。ケワタガモのメスは、卵の上に排泄し、その匂いは捕食者を卵から遠ざけています。サンドイッチアジサシのように、巣の周辺に糞をすることで、その匂いで他の近隣個体に対して縄張りを主張するとともに、見た目で卵をカムフラージュしている種もいます。キンカチョウの雛は、こうした匂いで自分の巣を認識していると言われています。
腸内細菌叢と匂いコミュニケーションの関係
特定の腺分泌に限らず、日常的な代謝過程における二次的な産物も、部分的に匂いの元を構成しています。消化もこうした代謝の一部であり、匂いの元となる化合物を産生する腸内細菌叢と、匂いによる情報伝達の関係が注目されています。
すでに昆虫においては、腸内細菌叢の産生する化合物による情報伝達について、多くの報告があります。腸内細菌叢の産生する嗅覚刺激シグナルは、配偶者決定に影響を与え、抗生物質の使用によりその影響が打ち消されます。腸内細菌叢の多寡により生じる揮発性カルボン酸の量の差が、交配相手へのアピールに影響し、細菌を投与することで配偶相手への魅力が増加することが報告されています。社会性昆虫では、同じ巣の仲間であることを識別する嗅覚シグナルとなる化合物を、腸内細菌叢が産生しているとの報告があります。
線虫では、異なる食餌から腸内細菌叢が産生する表皮炭化水素は、配偶者選択に与える影響が異なるそうです。
動物も細菌叢の作り出す匂いから情報を得ている
脊椎動物においては、具体的な腸内細菌叢とその生成物とコミュニケーションの関係についての研究はまだ始まったばかりです。ただ、腸内細菌と化合物の関係、化合物と匂いによるコミュニケーションの関係について、それぞれ多くの知見が蓄積した結果、腸内細菌と匂いの持つ情報の関係に注目が集まっています。
ニワトリでは、食餌をコントロールすることで、健康状態を反映している糞中の匂いの原因物質を低減することが報告されています。この糞中に含まれる匂いの原因物質は、腸内細菌科の特定の菌が産生することも明らかになっています。
マウスでの実験では、同じ群に属する個体の持つ腸内細菌の類似性や、そのような腸内細菌叢により産生される化合物の類似性が明らかになっています。さらに、腸内細菌により産生された化合物は、健康状態などの個体の情報の指標となったり、同種誘引や他種忌避の効果を持つことも示されています。例えば、産生されたトリメチルアミンは、尿から排泄されますが、配偶者選択において誘引効果があります。
ヒトでは、腸内細菌によって産生される代謝産物が汗や呼気などに含まれて排出されることで発生する匂いを、疾患の兆候として臨床診断に役立てることを目指した研究もあります。
匂いと化合物、そして腸内細菌叢は、さまざまな動物で直接的・間接的な関係が指摘されています。匂いから得られる情報と、その元となる化合物を産生する腸内細菌との関係について、今後の研究に注目が集まっています。
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