2017年7月11日

【ブックレビュー】宇宙飛行士を支える小さな存在『乳酸菌、宇宙へ行く』

重力が極めて弱い閉鎖空間である国際宇宙ステーション(ISS)。ここに長期間滞在して仕事する宇宙飛行士たちは、病院もない場所にあっても健やかであり続けなければならない。その助けに「プロバイオティクス」はいかが、という研究が始まっている。『乳酸菌、宇宙へ行く』(文藝春秋)は、そこに至るまでの腸内細菌研究の歴史とポイントをコンパクトに教えてくれる。

まず、英語の復習をしておくと、接頭辞のプロ(pro-)は賛成、アンチ(anti-)は反対。なので、プロバイオティクスは「共生」できる有用な微生物や成分、アンチバイオティクスは菌を殺す「抗生」物質をそれぞれ意味する。

JAXA(宇宙航空研究開発機構)とともに研究に取り組むのは、おなじみヤクルト本社。ヤクルトを毎日飲めば、腸内環境にも免疫機能にも好影響が見込めるが、この効果は宇宙でも通用するのか。この研究を一言で表せば、そういうことになるだろう。

プロバイオティクス研究の原点はヤクルト

ヤクルトの生みの親として有名な代田稔博士は、腸管感染症対策に「菌をもって菌を制す」という戦略のもと、当時の京都帝国大学で乳酸菌を研究。のちに、あの「L.カゼイ・シロタ株」と命名されることになる、消化液に耐えて腸に到達する乳酸菌の強化培養に成功した。

選り抜いた乳酸菌を人工胃液のなかで培養し、その生き残りを今度は人工腸液でまた培養する、という2段階の選抜によって生まれたシロタ株。その、伊達ではない強さを誇るシロタ株をひっさげ、代田保護菌研究所から「ヤクルト」が製造・販売されたのが1935年。以後、80年以上にわたって、腸を中心とした健康の守護神として活躍することになる。

ヨーグルトを食べると不老長寿になると唱えた生物学者イリヤ・メチニコフという先駆者がいたとはいえ、原因菌の特定と治療法の確立ばかりが求められた時代に、食による予防を重視した代田博士の先見の明が、今のプロバイオティクス研究につながっている。

腸内細菌と免疫の関係

さて、今まで説明してきたヤクルト菌も含まれる、腸に棲まう有用な細菌は、どこで免疫機能と関わってくるのか。

実は、腸内フローラを欠落させた「無菌マウス」では、粘膜組織の免疫機構にはたらく抗体「IgA」が普通のマウスに比べて少なく、腸内フローラの状態とIgAの産生とには関連があることがわかってきた。こうした結果から、どうも免疫物質の産生システムには、腸内細菌、腸内フローラの存在が前提とされて組み込まれているらしいという仮説が立つ。

そもそも、研究者が人工的に努力して作ろうとしなければ無菌マウスなんて自然には絶対存在しない。だが、なぜ無菌動物がいないのか。あちこち微生物に満ちた世界から水と食物を摂っていたら、積極的にやっつけない限り、いつの間にか菌が体内に棲みついていたっておかしくはない。

ただ、どの菌をやっつけ、どの菌を棲まわせるかを峻別するということがまさしく免疫の要諦である。生まれて直後、免疫システムが未だ不十分である新生児を考えてみると、「免疫システムはどのようにして完成していくか」、「どのようにして健康を害することなく、最初に棲みつく菌がやってくるのか」という2つの疑問が当然わいてくる。

その手がかりはある。人間の出産において、母の腸内細菌が産道を経由して子に伝播するのだ。こんな事実も、ヤクルト本社のヨーロッパ研究所によって明らかにされている。免疫物質の産生、腸内細菌の母子感染についての詳細なメカニズムは、ぜひ本書をお読みいただきたい。

宇宙でも切っても切れない関係となるか

人間と腸内細菌。片方だけではどうにも生きづらく、切っても切れないパートナーの関係のはず。だが、思えば、今までは目立たず、その重要性が知られず、たまに姿が見えれば「菌なんて気持ち悪い」なんて言って、潔癖な人なら自分で自分を「無菌人間」にしようとしかねなかった。

時代は変わり、腸内細菌の重要性の認識は日に日に深まっている。さらに彼らは、宿主である人間に伴って、宇宙飛行士の健康維持という重責をも担いつつ、生存圏を宇宙にまで広げつつある。

実は、今回のISS搭乗実験を前に、ヤクルト菌が宇宙船内の常温でも生菌のままでいられるかの実験も行われた。そして、地上の常温の場合と変わらないことが確かめられている。 正直、「そこまでやるか」と内心思っていたが、この本を読んですぐ、ISSで長期保存したマウスの精子を使って、健康なマウスの子を誕生させることができたというニュースを読んだことで一気に腑に落ちた。

国際宇宙ステーションの「きぼう」で長期保存した精子DNAの正常性と宇宙マウスについて-人類の宇宙生殖の可能性を示す-

ISSは、地上のほぼ100倍という放射線が宇宙から降り注ぐ環境。そこでおよそ9か月保存されたフリーズドライの精子は、核のDNAに若干損傷を受けたものの、それらを使った受精卵は無事成長して誕生し、その子孫への影響もなかった。とはいえ、9か月でも「若干」とはいえDNAに損傷が起こったのだ。9か月はクリアできたが、3年はどうか、さらには5年後はどうか。その答えは今後の実験結果を待つしかない。

「生物は宇宙で問題なく増えることができるのか」「健やかに生き続けることができるのか」放射線も強く、重力もないという宇宙環境に生物が進出するにあたっては、ここまで調べ、問題が見つかればそれをひとつひとつ工夫で解決していかなくてはならないのだと改めて実感した。腸内細菌の研究も、その一環なのだろう。

考えてみれば、乳酸菌に健康を守ってもらっているからこそ、こちらが多額の資金をつぎこんで、今まで来たこともない遠方までお連れしているのか。この共生関係、実に奇妙で面白い。人間と腸内細菌は、これからも一緒に、どこまでも遠くへ旅をしていくのだろう。

■編集長より

JAXAとヤクルト社がISSで行う共同研究の詳細はJAXAのプレスリリースを参照。

国際宇宙ステーションでのプロバイオティクス(ラクトバチルス カゼイ シロタ株)の継続摂取実験、いよいよ開始へ~宇宙飛行士の免疫機能、腸内環境への効果研究~