2018年8月21日

我らみな腸内細菌と寄り添い進化してきた哺乳類——『おっぱいの進化史』ブックレビュー

薄桃色の突起のついた大きなボールに曲芸よろしく後ろ足で立ち、誇示するかのように自らの乳房を寄せて上げるのはウシ、ネコ、そしてカモノハシ。とんがり帽子と腰ミノだけを身につけた半裸の女性は下の方と裏表紙で小さくしている。

そんなユーモラスな表紙の『おっぱいの進化史』(浦島匡・並木美砂子・福田健二著、技術評論社刊)は、本文中も科学イラストレーターの描く挿絵に彩られている。乳製品の歴史、発酵乳と乳酸菌、果ては十勝郡浦幌町の「乳神神社」をはじめとするおっぱい信仰まで、楽しいサーカスの感もある書物であるが、副題である「生物ミステリー」が一貫してそれらの奥底に流れている。

おっぱいとはなにか。おっぱいはどこからきて、どこへと向かっているのか。

筆者はふざけているのではない(近い文言は本文中に登場するので各自確認されたし)。脊椎のある動物が脊椎動物。その中でも、乳を口に哺(ふく)んで育つなかまが哺乳類である。脊椎動物であり、哺乳類である我々人間。自己規定の徴(しるし)である脊椎について、我々は何を知っているというのか。そして、我々はおっぱいについて何を知っているというのか。テーマは哺乳類進化の秘密。その舞台には、我々と共進化してきた腸内細菌も当然登場するのである。

汗と母乳は仲間?!おっぱい起源論

分泌と排泄はともに体から何かが出ることを意味するが、役立つ物質を出すと分泌、不要な物質を捨てると排泄になる、と1章冒頭でまず説明がある。おっぱいはもちろん分泌、おしっこは排泄だが、こういう説明にはどっちに入れていいのかよくわからない存在がつきものである。たとえば、汗はどうか? おしっこ同様、不要物を外に出しているから排泄であるが、自分以外のなかまに影響を及ぼすフェロモンも出していると考えれば分泌となる。

3章では「動物が分泌物を出すところを『腺』と呼ぶ」と解説が入る。乳汁が出るなら乳腺、汗が出るなら汗腺。実は、乳腺の起源は汗腺のひとつ「アポクリン腺」であるという。

爬虫類と哺乳類とは共通祖先から分かれて進化していった様は本書に任せるとして、登場したばかりの哺乳類がいきなり現在のような乳首と乳房を備えているはずがない。哺乳類のなかでも原始的なグループで、卵から孵化するカモノハシやハリモグラといった「単孔類」にはおっぱいらしきものはなく「ミルクパッチ」という穴から乳汁を出す。単孔類、そしてカンガルーなど有袋類の発達初期の乳腺を観察すると、毛穴(「毛包」)との密接な関係が見えてくる。

考えてみれば、毛穴には件のアポクリン腺がセットで付いてくる(同じ汗腺でも、エクリン腺は毛穴と一緒になることはない)。原始おっぱいに乳首や乳房がなく単なる毛穴だったしても、周囲の毛に乳汁がたまって飲みやすくなるのだ。

さらに系統樹をさかのぼると、親の身体からの分泌物が子の栄養になる、という例は現在の両生類でも確認できる。カエル、イモリ、サンショウウオの一部には、卵を抱くものがあるという。外敵からも乾燥からも卵を守ることができ、常に接触しているということは水分をなかだちとして物質の交換ができる条件が一応満たされているわけだ。

現に、ある種のイモリでは孵化したばかりの子が親の皮膚や皮膚腺分泌物を食べている。ここらへんがおっぱいという存在の起源ではあるまいかと本書では示唆されている。

腸内細菌のエサ「オリゴ糖」ヒトとウシでは種類が違う

栄養としてのおっぱいを見てみるとタンパク質、脂肪、炭水化物、ミネラルといろいろあり、栄養素ごとに興味深いトピック目白押しなのだが、腸内細菌叢にがっつり関わってくるのは炭水化物、なかでもミルクオリゴ糖である。

牛乳でおなかがゴロゴロする原因として知られる「乳」糖は、小腸の酵素で分解されることで我々の栄養として使えるようになる。しかしミルクオリゴ糖は、ほとんどが小腸で消化されずに大腸まで届く。そして、ビフィズス菌のエサとなるのだ。

母乳栄養の赤ちゃんの方が人工栄養の赤ちゃんよりも、便の酸性度が高い、更に下痢、中耳炎、呼吸器病を起こす度合いが低いということが20世紀前半に判明。母乳の乳清にはビフィズス菌を増やす何かがあることもわかり、「ビフィズス因子」などと呼ばれていたが、これこそがミルクオリゴ糖なのであった。

乳児の大腸にまで届いたミルクオリゴ糖は、ビフィズス菌や乳酸桿菌に始末される。そのときに乳酸や酢酸が排出されることによって、便が酸性に傾いていたのだ。そして、その酸性環境が結果的に病原菌の繁殖を抑えることにも役立っていた。加えて乳酸菌は、効く菌は数が限られるものの、天然の抗菌物質であるバクテリオシンも作っているのである。

このように、有用な腸内細菌のエサとなることで「プレバイオティクス」作用があるミルクオリゴ糖。しかし、この本で詳述されるように、乳汁の成分は動物によって異なる。

ヒトの母乳に含まれるミルクオリゴ糖は牛乳にあまり含まれておらず、あったとしてもヒトミルクオリゴ糖とは種類が違う。現在、乳糖から人工的に作ることのできるガラクトオリゴ糖がヒトミルクオリゴ糖と同様の効果が期待できるということで、牛乳が原料の粉ミルクにはガラクトオリゴ糖を混ぜているのだとか。現象の仕組みがわかれば、対応はできるものである。

4種のビフィズス菌の連係プレー

赤ちゃんに定着しているビフィズス菌4種類として

・ビフィドバクテリウム・ビフィダム(B・ビフィダム菌)
・ビフィドバクテリウム・ブレーベ(B・ブレーベ菌)
・ビフィドバクテリウム・ロンガム 亜種インファンティス(B・インファンティス菌)
・ビフィドバクテリウム・ロンガム 亜種ロンガム(B・ロンガム菌)

が紹介されている。これだけ名前がついているだけあって、ビフィズス菌とひとくくりにするのが惜しいほど、こやつらはなかなかに個性を持っている。

この4種をヒトミルクオリゴ糖しか糖を用意していない培地で増やしたところ、B・インファンティス菌はよくヒトミルクオリゴ糖を食べて、増殖した。では、大腸にいてもヒトミルクオリゴ糖しか降ってこないのに、残りの3種はどうしているのだろうか。確かに、培養実験でもB・ブレーベやB・ロンガムはうまくヒトミルクオリゴ糖を分解できず、数を増やすことができていなかったのだという。

そこでこの2種を助けるのがB・ビフィダム。他の3種に比べてユニークなのは、自分の身体の外ではたらく糖の分解酵素を持っており、しかも分解した後の単糖を自分では食べないという特徴があること。

ヒトミルクオリゴ糖をエサにできなかったB・ブレーベとB・ロンガムは単糖ならエサにできるので、なぜだかタダ働きをしているようにしか見えないB・ビフィダムのおかげでなんとかおまんまをいただける環境にあることになる。しかも、赤ちゃんの便を調べると、B・ビフィダムは他の菌に比べて数が少なく、どうやら勢力を拡大できていない様子。こんなお人好しでも生き残っていくことができるもんなのだな。

母から子へ、腸内細菌はいつ移る?

ビフィズス菌の次は乳酸菌である。この本の乳酸菌の概要説明はイメージがわくものであった。

ビフィズス菌はエサの説明に糖しか登場しなかったが、乳酸菌はメシにうるさく、糖に加えてアミノ酸、ビタミン、ミネラルも必要になるという(専門用語で「栄養要求性が高い」という)。そして、ビフィズス菌は酸素がダメで、空気中で2割を超えると生育できなくなる(偏性嫌気性)のに対して、乳酸菌は酸素が嫌いではあるが死ぬわけではない(通性嫌気性)。

乳酸菌は腸のなかだけでなく、口、食道、女性の膣などにいる。口の中の乳酸菌で有名なもののひとつは、虫歯菌のミュータンス菌だ。

腸内細菌のなかまが体内のどこに住んでいるかについて、私にとっては新しい知識もあった。赤ちゃんは子宮のなかで無菌で育ち、生まれるときに産道で母親の菌が移るのだと、今まで読んできた本で説明されてきた。

しかし最近、赤ちゃんが初めて出すうんち「胎便(メコニウム)」にも放線菌門(ビフィズス菌など)、プロテオバクテリア門(大腸菌など)、ファーミキューテス門(乳酸菌など)にカテゴライズされる菌が見つかったのだという。生まれる前からすでに母親に住んでいる菌が移行しているのか?ここらへんの研究の最新動向にも今後注目していきたい。

最初にして、究極のプレバイオティクスであるおっぱい。おっぱいの誕生と進化には、腸内細菌との共進化が必ずや関わってくる。乳汁の成分からの詳細な研究アプローチから、酪農と乳製品の利用が食生活に及ぼした影響まで。おっぱいのひとことで、ここまで広く深い領域が含まれていたとはと驚きしきりの本であった。